くろずの郷、鹿児島県霧島市福山町
島津藩政時代、中国や琉球の産物が鹿児島へ入ってきて宮崎へ流れていく中継地の商業地として大変な賑わいを見せていました。文政三年、今から二百年ほど前、中国から来た一人の商人が、福山の竹之下松兵衛に米で酢が出来ることを教えたのが始まりであると伝えられています。
福山の酢は「かめ酢」とも言われますが、以前はこの黒酢のことを「アマン」とも言っていました。中国・福建省にアモイという所があり、そのアモイも米の集積地として米から酢を造っていました。酢造りを伝えてくれた商人がきっとアモイの人で、それが訛ってアマンと呼ばれるようになったと思われます。
その黒酢造りを福山の土地が今日まで守ってこられたのは、原料の米が豊富だったことと、良い酢造りには欠かせないミネラル水と恵まれた気候など、この地が酢造りの条件に適していたからでしょう。
くろずの製造法
くろずの郷、福山町の黒酢の醸造法は、特殊な手法で「かめ壷仕込み」と言われ温暖な気候と風土を条件とし、一年以上もの長い月日をかけて静置・熟成発酵を行う伝統的な手法です。
三種類の発酵法(糖化・アルコール・酢酸)を一つのかめ壷の中で同時に行うと云う、世界でも類を見ない発酵法なのです。原料の玄米を100%お酢に転化出来て成分が逃げないのが特徴です。
仕込みは春と秋の穏やかな季節に2回行われ、一回に約50トンを目安に仕込んでいます。
仕込み終わったかめ壷は日当たりの良い場所に並べて置かれ、日中は南国の太陽に照らされてかめの上部は手も触れられない程熱くなり、下部に行くに従って温度が低くなっていきます。 この自然の配剤を見事なまでに利用し、かめ壷の中で発酵のドラマが始まるのです。
くろずができるまで
純玄米黒酢は、まず米麹造りから作業に入ります。この麹造りに最大のコツがあり、「麹を寝かせる二・三日で酢の全てが決定してしまう」と言われる由縁です。この製法は秘伝とされ、受け継がれた経験とカン、麹の息遣いを聞き取り、温度調整に全神経を集中し、約一週間寝ずの作業が続きます。
こうして出来上がった米麹は、九分突きの蒸した純玄米と、更に水と一緒にカメに仕込み、振り麹と言われる乾燥した米麹を表面に振り掛けて、蓋を閉じます。味の良し悪しは、沈み麹に隠された秘伝にあり、他社にない味を守り続けています。
このカメ壷による醸造法で、弊社では黒酢1リットルに対して300gの玄米を使います。酒で言えば、原酒に相当する純粋の食酢で、国税局の免許が必要にります。
仕込んで暫くすると、酢酸菌膜という薄い膜が張ります。この膜を常に活性化させる為に、攪拌を何度も繰り返すことで育ち具合を図るのです。この膜によって、アルコールの発散防止や雑菌の侵入を防ぎます。膜の下では菌がミクロの世界で神秘な変化を起こしています。糖化発酵が始まり、次にアルコール発酵、更に酢酸発酵と進み、黒酢になるのです。この三つの発酵が少しづつ重なり、混ざって同時進行します。この発酵の進行を図るのも、重要な作業です。
ここでも全て、長年の経験とカンが必要になります。こうした米麹造りから始まった純玄米黒酢が出来上がるまでには、一年以上もの月日を待つのです。黒酢の現場ではまず、カメ壷に麹を入れ、蒸した玄米と水を加え、更に上から蓋麹を撒きます。最後に壷の口を紙で覆い、陶製の蓋をして仕込みは完了です。
仕込みから大体40日ほどの間寝かせると、その頃には液体の表面に酢酸菌の白い膜が出来ます。三日から一週間に一度の割合で、その酢酸菌を攪拌しながら酢の育ち具合を見るのですが、それぞれのカメ壷の厚みや置き場所などによっても育ち具合が異なります。仕込から半年ぐらいで酢に変わります。
純玄米黒酢の味覚、品質に最も大きな影響を与えると言われているのが、「種酢」です。種酢は、何十年もの黒酢造りの中で、毎年何千個ものカメ壷の中からわずかに突然変異的に生まれる「超優良玄米黒酢」で、この種酢を加えることによって、各社伝来の品質と味が受け継がれているのです。
その後、品質の一定化も兼ねて大きな壷に移し、更に半年から一年以上掛けて、じっくり熟成させます。大壷の中で、まろやかさと旨みに磨きを掛けた黒酢は、圧搾、ろ過、殺菌、更にろ過、殺菌の工程を経て、最後にボトリング作業を経て、「黒酢」として誕生するのです。